岐路 turning point 2005 1 17
岐路に立つ日本。
今の日本は、明治維新以来の変革期を迎えているのです。
それほど、重要な時期にさしかかっているのです。
たとえば、構造改革という言葉を聞くでしょう。
これは、別の言い方をすれば、都市対地方の対立でもあるのです。
日本を都市型に変える。
つまり、国民を都市部に集め、効率的な行政を行う。
構造改革を、そう考えてもよいでしょう。
(海外旅行をすればわかりますが、
外国では、都市と都市の間には、たとえ平野であっても、
ほとんど人が住んでいない地域になっている場合が多いのです。
この方が、合理的で、効率的なのでしょう。)
これを、「地方の切り捨て」ではないか。
あるいは、「過疎地域の切り捨て」ではないかと思う人もいるでしょう。
確かに、結果的に、そうなるでしょう。
しかし、これが、全部、間違いとは言えないのです。
今後、少子化による「税収の減少」が見込まれます。
企業にとっては、少子化による「売上高の減少」が見込まれるでしょう。
こうした状況では、全国一律のサービスは、維持困難になっていくのです。
どんなに不便なところに家を建てても、
電力を供給してくれるのは当然と思うかもしれない。
しかし、あなたが、電力会社の社長だったら、どう考えるでしょうか。
コスト高になってしまう過疎地域に、電力会社の経営を危機にしてまでも、
次々と、電力を供給していくでしょうか。
(今までは、人口増加社会だったので、それが売上高の増加をもたらし、
経営的に余裕があったから、どんな地域にも電力供給ができたのかもしれない。
しかし、人口減少で、売上高が、年々、減少していくと、どうなるでしょうか。)
利益を追求する民間企業では無理だから、
地方公共団体に、電力を供給させようと考える人もいるかもしれない。
しかし、地方公共団体も、当然、電力供給のコストがかかりますので、
そのコストは、増税でまかなうことになります。
明治政府の方針は、全国一律のサービスでした。
しかし、今の政府は、その方針を転換しようとしています。
少子化による「税収の減少」を考えれば、それも間違いではないでしょう。
しかし、やはり、間違いがあるのです。
それほどの大転換ならば、国民的な合意が必要です。
しかし、現実には、一部の政治家や学者が決めようとしています。
一方で、多くの国民は、
娯楽、グルメ、ファッションに夢中となっている現状があります。
さて、ここまで読んで、もうひとつの方法が思い浮かんだ人もいるかもしれない。
それほど、人口減少や少子化が、日本を危機にするならば、
「移民の受け入れ」で、人口を維持すればよいのではないか。
移民にも、税金を払ってもらえば、今までの社会制度も維持できるではないか。
しかし、この議論も、同じ問題が発生します。
日本の長い歴史で、移民を受け入れたことはないでしょう。
それほどの大転換ならば、国民的な合意が必要です。
これもまた、一部の政治家や学者が決め、
多くの国民は、娯楽、グルメ、ファッションに夢中という状況が繰返されるのでしょうか。
民主主義国において、政府とは与えられるものではなく、
国民が作っていくものである。